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備忘録的に・・・(;'∀')

Category: Bar Bambi (お仕事)
Vin de Constance 2005 Klein Constantia
ヴィン デ コンスタンス 2005 クレイン コンスタンシア
IMG_2568.jpg
違いの分かる大人の為の極甘口デザートワイングラスでご用意しております。
\1,500/60ml
南アフリカと侮るなかれ、ナポレオンが死ぬ前にもう一度飲みたいと言った伝説のワインです。

フランス「Coffee-table book」で「世界の伝説の100ワイン」、2000年には「世界で最も神話的な9つのワイナリー」に選ばれる。南アフリカ・ジョン・プラッターワインマガジンで毎年5星評価。2002年9月のアメリカ「ワイン&スピリッツ」マガジンで「世界の偉大なワイナリー25」の1つに選ばれる。世界中に毎年のヴィンテージを集めるコレクターもいる。

  この伝説のワインは1685年に当時のケープ植民地の総督であるシモン・ヴァンダー・ステルとともに始ました。彼はダイナミックかつエネルギッシュな人で、その小さなケープ植民地は単にインドへ向かう途中の中間点ではなく、現実的に意味のある場所であることに気づきました。

  彼は自分の農場を選ぶ前に、労働者達にケープ半島の南側に沿って大量の土を掘らせました。サンプルは本国に送られフォルス湾に面 する谷は、ブドウ栽培に最適な場所であることが証明されました。そこは、インド洋と大西洋に挟まれ、湿気を含んだ涼しい風が吹き、また何百年にも渡って風化された花崗岩は、ブドウの栽培と質の高いワイン生産に成功する為に必要なものでした。

  彼の巨大なワイナリーはコンスタンシアと呼ばれ、ヴァンダー・ステルはすぐに質の高い洗練されたワインで評判になりましたが、それは彼の死後50年経った後でした。彼が亡くなった50年後にヘンドリック・クローテがヴァンダー・ステル総督の夢を実際にかなえました。初期のドイツ移民のひ孫である彼もまた、ダイナミックかつ勤勉な人で、土壌を愛し、南アフリカで最上のワインを生産するための判断が出来る人でした。
 
  ヴァンダー・ステルの農場は3つに分けられ、クローテはその農場を買うためにステレンボッシュから来ました。彼は最も素晴らしいワインセラーを造り、新しいワイン用のブドウの栽培を始めました。そのほとんどはフロンティグナク、ポンタク、赤と白のムスカデルと少しのスティンでした。これらは数百年後にコンスタンシアのワインを有名にさせました。

  ブドウ畑は細心の注意で栽培され、ブドウはレーズンや蜂蜜のように甘くなるまで熟されました。それから桶の準備にも余念がありませんでした。そしてそのワインはヨーロッパやイギリスに輸出される前に、ゆっくりと熟成されました。

  彼らは勇気をもって、ソ―テルヌやマデイラのように一般的に受け入れられている有名な名前に頼ることなく、このワインをコンスタンシアと、そのままシンプルな名前のままで貫きました。

  クローテは9人の子供に恵まれ、そのうちの6人は有名なワインメーカーでした。彼は、優秀なビジネスマンであるヘンドリック・ジュニアにコンスタンシアを引き継がせました。そして、その後は孫のヤコブ・ピーターが後を継ぎました。彼は流暢なフランス語を話し、パリにコンスタンシアの代理店を開きました。そこで幾つかのメダルも獲得できました。この時期、コンスタンシアは彼らの活躍によって名を挙げました。

  「シャンゼリゼに集まる世界で最もすばらしいワインの一つである伝統的なコンスタンシアワインは19世紀はじめに、ヨーロッパの宮廷人によってシャトーディゲム(フランス産の最高級白ワイン)、トカイ(ハンガリー産ワイン)、マデイラ(ポルトガル産ワイン)よりも好まれ、王様達は競ってこのワインを獲得しようとした」とヒュージ・ジョンソンは書いています。フランス王ルイ・フィリップは、そのワインを獲得するためにフランスから使者を南アフリカに派遣させました。ナポレオンはセントヘレナ島に流された後、孤独を癒す為にこれを飲みました。ドイツ帝国宰相ビスマルクもこれを愛飲しました。イギリスでは、ダウニング街(イギリスの官公庁街)で感動してこのワインを試飲した首相が、南アフリカ・ケープ州からこの大切な贈り物をバッキンガム宮殿の王様に届けました。

  甘くて香りの高い、洗練された品のあるコンスタンシアワインは、直ぐに19世紀文学にも登場しました。チャールズ・ディケンズは「一杯のコンスタンシアワインと手作りビスケット」の話を、ジェーン・オースティンは、「彼女の孤独のヒロインは、少しのコンスタンシアワインで傷ついた心を癒そうとした」と書き、ドイツの詩人のクロプストックは、彼の詞の中でこのワインの素晴らしさを表現するのに力を注ぎ、ボードレールはこのワインを彼の感性の高いイメージで表現しました。 19世紀の終わりにかけてネアブラムシの病気がケープ地方で流行り、ブドウ畑がやられ、ワイナリーの中でも倒産するものもありました。グルート・コンスタンスは、実験的なワイン農場として政府に売却されました。そしてクローテはそこを離れました。古い体制は変わり、生産現場が新しくなりました。そして有名な甘いコンスタンシアワインは、世界に喜びをもたらしました。その伝説は誌や散文で不滅のものとなり、いまだにヨーロッパの有名なワインコレクターのセラーの中で眠ったまま忘れられている古いボトルの中で活き活きと生きています。

  1980年以来クレイン・コンスタンシアは、シモン・ヴァンダー・ステルの農場の一部を引き継いでいるワイナリーとして、かつて有名なワインを再び蘇らせることを使命として、それに挑戦しました。昔の記録は研究され、300年前にコンスタンシアで使われていたと思われるブドウの中から慎重に選択されたブドウを使って、このワインを生産しています。今、1世紀の間失われていたものが再び蘇りました。ヴィン・デ・コンスタンスは、かつてこの伝説的なワインを作ったブドウ畑で昔のコンスタンシアと同じ製法で作られています。

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2010年10月吉日より
Bar Bambi
大阪市中央区東心斎橋1-13-7 Flags Bldgs 2F
06-6243-1228
Mon-Sat 18:00-4:00
にて、ディレクター/ソムリエとして勤務しております。

日々勉強中ではございますが、
安いワインを安く売るではなく、
高いワインを高く売るでもなく、
天地人が織りなす、飲むべき価値のあるワイン、
かつプライスパフォーマンスの優れたものを、
自腹で飲みたい良心価格でご紹介しております。ただ飲みたいだけ?

違いが解り、遊び心に溢れた大人に気張らずに愉しんで頂けるよう、
あらゆる引き出しを持った店づくりを行っていきます。

少年の心を持ち続けたコヤジです。
特技は洗練されたオヤジギャグと豊富な経験に基づいた?下ネタです。
体弱いdeath。最近寝ても疲れがとれましぇん。
身長176cm、体重6○kg。育ち盛りです。2012年追記、最近70の大台ラインをせめぎあっております。
几帳面でないA型、水瓶座、孤独好きだけど寂しがりやです。
お酒は洋の東西を問わず大好き、でも独りでは飲みません。
だって涙がでちゃうから・・・。
飲み会大好き、のこのこ出て行きます。
はしゃぎすぎて大切なものを失うこともしばしば。
でも得たものもプライスレス。
ポロクラブ改めモロクラブの一構成員です。
齢30の声を聞いてからは記憶を失うことも増えました。
でも帰巣本能が備わっていることを実感。
大人になんかなりたくな~い。
とも言ってられなくなりつつ・・・。
でも全然成長してなかったりとアンビバレントな感じが意外と心地良いかも。


服は着るのも脱ぐのも脱がすのも大好きです。
90'sは蘊蓄好きのビギン君でブリティッシュからクラシコイタリアの王道ファッションこだわりの物に目覚め
00'sはプローサム、ラフ、カヴァリ、ディオールオム、グッチ、ドルチェ、ヴィトン等のプレタ系に傾倒、散財しましたが
10'sはもうなんでも良いです。デフレ万歳。
そう、人間は生身、もとい中身で勝負。
肉体や肌質が輝きを失い始めてからは補うように原色、アニマル柄、光り物がアイコンとなっております。
大阪のおばちゃんとハイファッションの融合を提案していますが理解者は意外と少ないようです。


腕時計は男の嗜好品。でも、もう欲しがりません。勝つまでは。
とある秋晴れの日に空巣に根こそぎ持っていかれて、あきっすねぇと呟いたのも今では良い思い出、
になるわけないし。


栄光と挫折のあしあと
オイルショックの最中、種を付けられる。
両親から一文字ずつとって義清。最近聞いたが兄が思いつきでつけたらしい。
かわいかった幼少期、しらないおじさんに連れていかれそうになったらしい。
小学生時代、塾をサボってゲーセン通い。人生で一番羽振りが良い時期。
団塊Jr.のお受験ブームで名門中学を入試するも門前払い。
バブルの恩恵を受けることもない中学時代、ホルモンのバランスを崩し太る。
しかも毛が生えるのが人より遅く悩む。
清風高校時代、男子校で女性に縁なし、毎日片思いの女の子と同じ車両に。
これってストーカー?クラスの半分はメガネ。通学ラッシュに揉まれ痩せることに成功。
背も伸びる。人間は揉まれて成長するって本当だよ。だれか揉んだろか?
般若心経をマスター、でも徳健財を兼ね備えた人間には程遠い。まぁ青春だね。
関西学院大学経済学部時代、やっぱミッション系の方がもてるよね。
貧しいながらも自給自足の楽しい独り暮らし。
夏は沖縄、冬はスキー、週末はダンスパーティやBBQみたいな節操のないサークル活動。
世は空前のDISCOブーム。お立ち台で惜しげもなく肌を露出し扇子を振り回すお姉さまに翻弄される。
そのころのお姉さまはサービス精神に溢れていた。良い時代だったなぁ。
酒やいろんなものに溺れてみたりもした。
バイトはバーテンダーが多かったかな。給料貰えずに潰れた会社もあったなぁ・・・。
学生生活謳歌しすぎて気がつけば世は不景気、ライバル多いで就職難。僕たちロストジェネレーションなんです。
就活の敗者モラトリアム期間、資格ブームに乗せられ法律の専学に行くも浅学にて頓挫。
フリーター時代、飲食総合企業オペファクの愉快な仲間たちと遭遇。
大箱のデザイナーレストランで毎日大量にカクテルつくってました。
S趣会が飲食店舗をこっそりやるということで一応白羽の矢が立ち、挑むが
予定調和か実力不足か1年強で閉鎖の憂き目に。
30代前半古巣のオペファクに出戻り。店舗マネージメント、開発などいろいろ学ばせて頂きました。
やっぱり生涯一プレイヤーとしてやっていきたいなぁと思いもあり、円満退職。
アングラな世界も経験して人間に幅ができたかな。
30代後半前期、ボインより好きなワインのスペシャリティになるべく、北新地の老舗ワインバーに飛び込む。
ワインってただ単に酔うためのお酒ではなく、こんなに美しいものだったんだと心酔。
これから先はワインと共に歩き、そして酔う。

わくわくな不惑を目指して切磋琢磨。


こんなデスぺラートな私ではありますが
どうぞよろしっくお願い申し上げます。

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