グラス120ml/¥2,000 ボトル750ml/¥10,000

ムルソーを代表する1級畑から産み出されるワインがこの価格でご紹介できるというのは大変嬉しいことです。
味わいのほうもべったりとしたリッチなだけのものではなく、しっかりとしたミネラルの骨格と液体の密度、酸、
果実の複雑味がしっかりと調和しており、造り手も含めたテロワールをしみじみと感じさせてくれる逸品です。
以下インポーター資料より
現代ムルソーおいしさの頂点ムルソーの名高い一級畑、ジュヌヴリエールの7分の1を占めるばかりか、中でも優れた区画であるジュヌヴリエール・デュスの斜面上部中央を所有するラトゥール・ジロー。
当主、ジャン・ピエール・ラトゥールはその畑の中で語る、「ジュヌヴリエールはハーモニーのワインです。すべての要素が完全でなければいけません。ひとつでも間違いを犯すと、バランスが崩れてしまいます。」彼はこの神経質な、しかしもたらす幸の大きい畑から、多くを学んだに違いない。彼はムルソーの過去を振り返って語る、「61年と64年はいいヴィンテージだったにもかかわらず、ムルソーは売れませんでした。ワインの質は、現在の基準で考えると、ほめられたものではありませんでした。なぜならワインはすべて新樽に入れられていたからです」。
意外なことに、農家がネゴシアンにワインを売るときは、新樽に入れたのだという。
「ネゴシアンはワインを買うとき、新樽に入れてあればワインの値段に樽の値段を上乗せして支払ったため、それが一般化してしまいました。今でもオスピス・ド・ボーヌに伝統が残っていますね」。だが温暖なミクロ・クリマをもち、酸が低めのムルソーでは、新樽の過度な使用は酸化を促進した。「さらには樽熟成中の亜硫酸塩の添加が少なすぎ、現在の半分でしかなかった。
これも酸化をもたらすことになりました。それを恐れて今度は瓶詰前に多くの亜硫酸塩を添加したため、ワインが固くなってしまいました」。つまり、樽臭くてベトっとして固いという、昔のムルソーである。ムルソーは銘醸地としての名声の歴史が比較的短く、醸造技術が精緻化されていなかったのかも知れない。
15年前にドメーヌを引き継いでから、ジャン・ピエールはこうした事態を打破すべく、学校で学んだことに父の経験を重ね、そこから自分で試行錯誤して、まったく新しい独自の醸造法を編み出した。
まず、48時間以上という通常の倍に及ぶ長いデブルバージュを行い、汚れを完全に沈めた。
普通ならここで樽発酵に移行するところだが、彼はそのジュースを別のタンクに移し、さらに48時間静置して、今度は酵母を下に沈めた。その酵母を多く含む5リットルをタンクの底に残し、ジュースを引いて、樽発酵させた。ここでは酵母が少ないために、発酵温度は16度と低めで、ゆっくりと続く。そして残糖が10から20グラムになったとき、タンクの底に残した酵母部分を加え、さらに発酵を続けた。これが成功した。極めてきれいなジュース、天然酵母、そして 2ヵ月半に及ぶ長い発酵期間と低温により、ワインは繊細さ、複雑さ、滑らかさ、テロワールの個性を十分に表現することとなった。そしてそれは、ジュヌヴリエールのみならず、ムルソーすべてのワインが本来もつ気品を、正しく表現することとなったのである。
2008年は、2007年と比べると、果実味とフレッシュ感は劣るかもしれないが、より深みのあるワインです。
彼は言います。『2008年は、2006年のような凝縮感のある、それでいて過熟していない年になりました。』
彼は9月から3週にわたって吹いた北風のために、多くの収穫量が望めないことを確信していました。
『しかし、このおかげで、湿気が蒸発して本当に完熟した葡萄に恵まれました。いつも素晴らしい糖度に恵まれたワインになるか、オイルのようなワインになるのかは紙一重なんです。』と彼は付け加えました。
およそ15℃に保たれた低温のセラーで12月から1月まで、彼は非常にゆっくりとアルコール発酵を行います。
その後、さらに10~11℃の低温で管理されます。ほとんどのワインは最終的に残糖2g/L程度となります。
マロラクティック発酵も同様に遅いです。
一般的な生産者は3月にはマロラクティック発酵を終え、SO2の添加まで終了させています。
しかしラトゥール・ジローでは、私が試飲のためにドメーヌを訪問した6月の初めでも、未だにシュール・リーの状態でした。ジャン=ピエールは、ワインがより複雑さを求めていると感じ、3週間もバトナージュを続けていたのです。
International Wine Cellar Sep/Oct 09より抜粋